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恋愛も結婚もカルマである∪・ω・∪

2013-03-08 23:50:00 rayna11の投稿 
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最近とある人が婚約をしたのですが、どうやら出会ってまだ1年も経ってない状況のようなんです。 
多分半年位かな。 
その段階ですと相手を客観視したり冷静な判断が一般には出来ません。 
ある程度「熱」が冷めるには余程相手がしょうもない場合を除けば最低1年位は必要なのではないでしょうか。 
恋愛経験が大切だと思うのは、日数が経つと大分自分の気持ちにも変化が現れてきて、それを知ってる事が結婚等大きな判断の時に非常に役立つからです。 
しかし上記のこと自体を批判するつもりはありません。 
これを通じてある事が頭に浮かんだのです。 

人を好きになったり気に入ったりする段階では舞い上がってしまっていてそれは人の目を曇らせます。 

ずっと前に拝見したとある女子高生の日記等中々「恋愛」というものを象徴していて面白かったのですが、その子の場合最初の半年位までは「彼氏と喧嘩しちゃった、でもこれも良い思い出だよね」とか、まだ舞い上がってる段階では結構心が広いのです。 
因みにその喧嘩の内容はまあ本人にも問題があるのでしょうが、彼氏さんの側の器の小ささとかが反映してまして、目が曇ってなければ簡単に識別出来るのですがそれは不可視のようでした。 
たまに見える場合があっても「欠点も含めて愛してます」とか大言壮語を吐くような形となります。 
でもこれは多分既婚者ならば実感として分ると思いますが「そんな事言ってられる程甘くは無い」とは思います。 

ただ面白かったのはその女子高生は割と素直な性格で、自分の気持ちをそのまま書くので大体半年を過ぎた辺りからテンションが下がっていくのが明確に分るのです。 
彼氏を褒める言葉が段々と減っていき、次第にそれがゼロになり、そして少しずつ批判が増えていくような感じで。 
別れる最後の一ヶ月は結構彼氏さんの事批判してましたね。最初の頃は全然許してた内容でも。 

恋愛感情なんてそんなものですから、結婚という場合にはそういった「勢い」では駄目で相手の人格を見なければいけない訳です。 
ところが結局は「勢い」で結婚に至る場合が多いようです。確かに冷静に判断してたら結婚なんて無理なのかもしれませんが。 
恋愛経験がそこそこある人でも結婚に冷静さを欠くというのは「焦り」があるからです。 
年齢的にも「そろそろここらで見つけないとヤバいな」みたいな状況が悪い意味でお互い前向きになってしまって、結局何も見ないまま結婚に至る形です。どうもこれは存外多いようですね。 

確かに結婚みたいな一生を左右するような場合には相手の人格を判断しなければいけないのですが、結婚相手を判断する時だけそれを発動なんて出来ません。普段から良く人を見て分析が出来てないと駄目です。 
だから「一緒に生活しないと分らない」みたいな事象が多々生じます。 
でも本当はそれに通じる手掛かりはある筈なんです。 
しかしそれを見抜くには普段からかなり客観的意識的に人を観察してないと無理でしょう。 

例えば「この人優しい」と思ったとします。 
でもそれは「自分がそう思ってる」だけですよね? 
相手の本性が優しいこととは関係ありません。 
相手が優しいのは単に下心があるからかもしれません。 

なんて話せば誰でも理解出来るのですが、実際の人と接する時に自分の気持ちにシビアになって、つまり突き放して相手を見てる人は決して多くはないのです。 
友人に対しても家族に対しても、ちょっと感情的な位に贔屓目に見ています。 

まあ友人とも家族とも仲良くやっていくのは結構な事なのですが、それが自分の見識の甘さに繋がってしまう場合があるのは否定出来ないと思います。
かなり身近な人間でもきちんと理解出来ないのならば、接する機会の少ない人間の僅かな手掛かりなんて簡単に見過ごしてしまうからです。 

或いは「家族が大切」とか公言する人が良く陥るのは、家族に対して愛情に基づく感情的判断が恒常化する事によって、家族以外の人間に対しても感情的判断が恒常化してしまうことです。 
どういうことかといいますと、特に仕事関係等は人間関係が大変な場合があります。 
「職場に嫌なヤツがいる」とかそこまでいかなくても「コイツのここが不満」程度なら多々あるでしょう。 
しかし多くの場合は単に職場の人々は「お友達」や「家族」ではないだけで、愛情関係に基づく人間関係では無いというだけの話なのではないでしょうか。 
別に職場の人が本質的な悪人という訳ではなく、単に仕事での利害関係なり何なりが顕在化させるものがあるに過ぎないのだと思います。 
下手すると仲の良い友人だって、一緒に仕事をしたらエラい無能で嫌いになるかもしれません。 

要するに家族や友人に対してシビアな見方が出来ていれば、一方職場での他人への見方も仮に自分には困る対応があったとしても「この人はこういう考えなんだな」と苛々せずに理解は出来ます。 
それがなくて感情的判断、つまり自分の都合だけでものを見る癖がついていますと「人間関係はストレス」にしかなりません。 
自分に身近な人も遠い人も「公平に」見た方が多分ストレスとかは大分軽減されると思います。 
何も他人を「愛する」のだけが素晴らしい事ではないということでしょう。 

こういった事情がありますので、色々と拝見をしてみますと恋愛でも結婚でも相手の人格を客観的に判断してというのは必ずしも多くはないようなのです。 

(話は大分飛びますが)では何が「他人を好きに」させるのか? 
これは一度でも他人を好きになったことがあれば殆どがそうだと思うのですが、多分人格とか性格とかそういうのではなく、好きになった理由が中々説明出来ない場合が多いのではないかと思います。 

例えば「女性に暴力を振るう男性」というのはどの国でも一定数あります。この日本でもそういう話は結構聞きます。 
結婚してからのDVもあるのですが「彼氏に叩かれた」というのも良く聞きます。 
日本の場合は結婚するのも恋愛するにも自由なのでそこに女性の自由意思は殆どの場合存在してます。 
つまりDVだとかが問題ではなく、そのような男性を好きになる女性が存在するということなんです。 
そしてそのような男性を好きになった理由を明示的に語れない象徴的な局面だとは言えないでしょうか。

無論暴力を振るうのを知ってたら好きにはならないでしょうが、それ以前にそういう事をやらかす男性の性格だとか資質というものがありますよね。 
それは単に怒りっぽいとかとは必ずしも言えないでしょうが、しかし必ず人格面で顕在化してる問題がある筈です。 
確かに性根の良く無い女性というのもDVをやらかす男性と同じ位存在するかもしれませんが、例えばそれが恋愛とかならば男性の側からしてみれば別れればいいだけの話です。 
しかもその男性は他の気に入らない同性をいきなり殴る訳ではありませんから、か弱い女性に対しては横柄な訳で、モラルも非常に低い訳です。 
これらの要素があるのに人間性が良いということはなく、必ずどこかに暴力発動の糸口があると考えるのが自然です。 
だからちゃんと頭で明示的に考えたり、相手を理解して好きになってる訳ではないと思うのです。
ある程度相手の暴力の糸口が掴めたとしても、その男性に惚れてしまうというのは一体何なのでしょうか?

まあ他にもなぜかホストばかり好きになって金ばかり巻き上げられる女性とかも存在するのですが、これらは上記のDV男性と同様で女性の側が理性的判断で好きになってる訳ではないので、明らかにホストに騙されてたとしても他人の説得等受け入れられる訳はないのです。 

僕は男性も女性もなぜ敢えて困難な相手を好きになって自ら不幸になっていくのかが疑問で仕方ありませんでした。 
まるで自ら不幸を望んでるかのように。 

で、ずっとそれをつぶさに観察したり、実際に不幸に飛び込んでく人々とも数多く話しました。 
で、ある結論に至りました。それ以外に考えられなかった。 
それは 

誰を好きになるかは、その人のカルマ(業)である 

という結論です。 
良く「愛は理屈じゃない」と言いますが、そりゃそうでしょう。 
理屈を言ったらそんなロクでもない人間と恋仲になったり結婚したりはしませんから。 

良く「素直になれない」なんて観念もあります。 
僕はこれも多くの場合カルマだと思っています。 
例えば自分に対して非常にプラスになる恋人を得たとしましょう。でもなぜだか分らないけど素直になれない。その人を遠ざけるような事をしてしまう。無意味に意地を張ってしまう。 
ところが逆に自分にマイナスになるようなロクでもない異性に対しては素直でいられる。自然体でいられる。 
必然的に結局は後者のような恋人を選ぶし、そういった人との方が長続きする。 
こういったケースを幾らか存じておりますが、残念ながら僕の知っている範囲ではやはり幸福になった人はいません。 
場合によってはかなり酷い末路が待っています。 

この場合、間違っても「自分は男運(女運)が無い」とか「運」のセイにはしないようにしたいものです。 
しかしどうも「業」の深い人に限って、こういった場合に反省はしたがらない傾向が強い感じがします。 
だから重いカルマを背負わされてるということなのでしょうか。 

もっと悪いのは単純に自己否定して自分を傷つけたりする自傷行為に走ることです。更にその先に自殺まであります。 
僕は生命倫理で自殺を否定するつもりは毛頭ありませんが、その前にやるべき事があるのではないかと思っています。 
「悔い改め」です。 
この「悔い改め」というのは、それまでの自分の根本を否定し更に改善していかなければならない事もあります。
単に反省する程度でも色々な人を拝見しますと歳を取っている程難しいのが分りますが、それより遥かに困難を伴うのは「自己改革」の部分です。 
これは自己改革に取り組んでる方なら分ると思いますが、正直死んじゃった方が楽かもしれないと思わざるを得ない場合もあるのではないでしょうか。 
自分を悔い改めないで肉体や精神を痛めつけるというのは「責任転嫁」だとは言えないでしょうか? 
意外かもしれませんが「楽」をしてないのか? 

但しこれは他人を責めてる訳ではないのを注意して下さい。僕が同じ立場ならそう思うということに過ぎません。 
人の人生観だとか、特に生死に関わる部分に関しては結局の所本人が判断すべきですし、他人の叱責とかではなく本人が心からそう思わなければ意味がないと思うからです。

一方である意味感心するケースもあります。 
育ちが良く、殆どマイナス要素が見当たらない人も世の中には存在するのですが、そういう人は間違った相手を好きになることが無いようなんです。 
通常20歳そこそこでは余程色々な経験をしたとかがないと、まだまだ人を見る目みたいなものもつきませんし、また自分自身も相手を推し量る見識にそれ程確信が持てないのが通常です。 
そうなのですが、自分が好きになった相手だけは確信を持つようなんです。他に関してはそれ程明確に「この人はこういう人」みたいな見識がなくともです。 

無論こういった人も自分が好きになったのがなぜなのかは説明出来ません。でもそれに確信を持っていて、実際にそれが間違いない相手なんですね。 
素直に自分の気持ちを表現出来て、恋愛に対して真直ぐになれるというのは、それが完全に無意識レベルなのですが自分の見識に絶大な自信を持ってるからなんです。
人はカルマが無ければ最良の相手を見抜き選べる能力が元々は備わってると言わざるを得ないということでしょうか。

他方「振り回す」とか「振り回される」とか「惚れた者負け」みたいに人を好きになるのを非常に恐れる人種も存在します。 
とにかくそういう人は恋愛はある種の「支配被支配」や「勝ち負け」のようなのです。 
これに関してあまり一般的ではない恋愛観なのかもしれませんが、これが非常に強い人は確実に存在します。無論そういう人に今までの人生で直接何人か出会ってきました。 

確かに他人を好きになるという事は「相手に弱みをみせる」という事でもあります。 
それを利用して相手からカネをむしり取るみたいな事をするホストやホステスもいるでしょう。 

ここで重要なのは「他人の弱みを利用するような人間を好きになる可能性がある」という恐れをその人々が抱いてるということです。 
多分潜在レベルでしょうが、どこかで「自分は間違った相手を好きになるカルマがある」というのを知っているのでしょう。 
確かにこの種の人は業が深い人が多いです。僕が知ってる範囲ですが全員かなり業が深い。 
そして勘も鋭い面がある人だけが恋愛に対して「勝ち負け」のような感覚を持ち、警戒心が非常に強いのです。 

誤解して欲しくないのはここで価値判断をしてはいけないということです。 
上記でいえば前者の方が幸福でしょうし人間性もとても良いのですが、だからそっちの方が良いとは必ずしも言えません。 
そういう人は深い話なんて解りません。幸福かもしれませんが人生的にあまり深められる機会も少ないでしょう。 
一方後者の業が深いタイプの人は、酷い場合には自殺まで追いやられる場合もありますが、しかし「悔い改め」をすれば素晴らしい人間になれる可能性があります。今世で大きな成長と遂げ、最終解脱を完遂できるかもしれません。 
要するに本人次第です。 

少なくとも言えることは「望まない人には絶対に与えられることはない」ということです。 
やはりただ待っているばかり、言い換えれば運や幸福が向こうから勝手に寄って来てくれるように思ってる人は絶対に得られないということです。 
世の中あまり断言してはマズい面もありますし、断言する事自体を嫌がる人もいて中々それを公言するのは避けたいのですが、これは断言できてしまいますね。 
皆様も「楽」をせず、自ら「望み」、素晴らしい人生を送って下さい(。・ω・。) 

因みに宗教用語を多少使用しました。 
僕は科学の側に立つ人間なのでなるべく科学的にいきたいのですが、こと人間に関する事象を論じる場合には科学の知識ではとても手に負えない場合が多々ございまして、今回もやむなく宗教的な概念を使わせて頂きました。 
現時点では「世界」を説明するのに「科学」だけでは中々困難を極めるのを痛感しております。 
科学と宗教を統合しないと包括的言語体系の完成は難しいのではないかと現時点では思っております。 

カルマ(業)について

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カルマ落とし

カルマ

意義素・用例類語・縁語
不可避・納得のいく業(人の)性(さが) ・ 本質 ・ 本性(ほんせい) ・ 原罪 ・ 宿業(しゅくごう) ・ 煩悩 ・ (すさまじい)欲望 ・ (生きることの) ・ (この世の)不条理 ・ (この世の)苦しみ ・ 生老病死 ・ カルマ




(ごう)とは、仏教の基本的概念であるकर्मन् (karman) を意訳したもの。サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。

業はそのに応じて果報を生じ、によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。中国日本の思想にも影響を与える。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。






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